介護帰省 その 2

 妹と交互に隔月の間隔で帰省するようになってから2年超、交通手段はやはり飛行機でした。成田発函館空港行きのLCC(格安航空)があり、経済的負担もお陰様でかなり助かっていました。ところが今年(H31年)の3月でその便が無くなってしまいとてもショックを受けた所です。LCCの魅力はその名の通り運賃の安さで、羽田ルートの三分の一でした。...

介護帰省してきました

 仕事柄、介護の現場は日常的に目の当たりにする光景でした。  様々な光景があり、第三者的な目線からもそれぞれの大変さを感じていたのですが、その日常の介護現場が自分にも回ってきて改めてその大変さを実感している所です。  私は北海道生まれの北海道育ちで、現在も実家があり母が一人で暮らしています。その母が気力的にも体力的にも何やら怪しげになってきたことから、4歳下の妹と相談し何かサポートをしようということになった次第です。...

現場最前線への参加

 前向きに過ごせた大学勤務、18年間(病理時代も含めると約30年)の大学ペインクリニック科での勤務は生き甲斐そのものでした。その証拠にその期間中、休暇を取ったことは一度もありませんでした。スタッフが休みを取ることが多くなる夏休みなど、よく看護師さんから「先生は夏休み取らないんですか?」と聞かれることがあり、「僕は大学で仕事をしていることが気分転換みたいなものなので、とても勿体なくて休めません」等と返事をして呆れられたものですが、でもこれは別に格好を付けて言っている訳ではなく本当にそのような気持ちだったのです。(念のため・・・)...

基礎から臨床へ 2

 様々な経緯と様々な運命的とも思える出会いとに後押しされて、新天地であるペインクリニックの世界へとたどり着けたのですが、あと数年で40歳に手が届こうという年齢で後先も考えずにペインという新しい世界に飛び込む決断が出来たのは、終始応援してくれた信頼のおける助言者の存在と、何よりも病理学教室で得られた医学的経験とそのことにより構築できた医学的根拠がバックボーンとなり、衝動的とも思えるエネルギーを突き動かしてくれたからだと思っています。...

基礎から臨床へ  1

 病理学教室での10年間は医療人としての基礎を築くための期間であり場所でありました。様々な病気と向き合い学ばせて頂きました。大学という場所であったからこそ出会えた病気も数多くありました。  その様な多くの経験を積ませて頂きながら、厚いしっかりとした基礎を築かせて頂いたと思っております。...

Introduction 4

 大事な財産として保存しているその当時の剖検記録の写しを、今でも時々読み返すことがあります。  前記のような方法論と視点で病気を診てきた人間が、非常に素朴な鍼灸医学などという世界で生きることになった時、自分にとって病理学という存在はどんなものであったのかを改めて考えてみたことがあります。すると病理学という世界で学ぶことが出来た有難さと、現在のような将来を意図して進んだ訳ではなかったからこそ尚、病理学という世界に進めた幸運を実感し直すことが出来たのです。...